「1492年は何があった年ですか?」
この質問に多くの人はこう答えると思います。
「コロンブスが新大陸を発見した年」
学校でそう習いましたし、歴史の教科書でも有名な出来事ですよね。偉大な発見として語られることが多い出来事です。
けれども、少しだけ想像してみてください。
もしあなたが、その大陸に暮らす人だったとしたら――。
ある日、見たこともないような大きな船がやって来ます。見知らぬ人たちが降り立ち、土地を調べ、やがてそこに住み始めます。
そして、その出来事をきっかけに大切な故郷が奪われていく・・・
そう考えると、1492年は「偉大な発見の年」ではなく、「侵略が始まった年」とも言えるのです。
同じ出来事なのに、それを見る立ち位置が違うだけで意味がまったく変わってしまう。これは歴史上の話だけではなく、私たちの日常にもたくさんありますよね。
ある人は「意見を言っただけ」のつもりでも、相手は「強く否定された」と感じている。
ある人は「心配して声をかけた」つもりでも、相手は「干渉された」と感じている。
どちらが正しいということではなく、それぞれが違う場所から見ているだけで分かり合えず、すれ違ってしまう。
たしか(うろ覚えですが)、U理論を提唱したオットー・シャーマーは、分かり合うための姿勢をこんな言葉で表しています。
「自分の靴を脱いで、相手の靴を履く」
つまり、相手の立場から世界を見てみるということです。
もちろん、完全に同じ景色が見えるわけではありません。それぞれに違う経験があり、違う価値観で生きているわけですから。
それでも、「この人の場所から見ると世界はどう見えるんだろう?」と、少し想像してみるだけで相手への理解が変わることがあります。
分かり合うというのは、同じ意見になることではありません。
もしかするとそれは、同じ景色を見ることでもないのかもしれません。
違う景色を見ていることを知りながら、それでも相手の景色を想像してみようとする。
その小さな姿勢が、人と人の間に少しだけ優しい余白を生むのかもしれません。
p.s.
世界平和はそんなに生易しい話じゃない。それは分かっていますけど、つぶやいてみたくなったのでした・・・ (文:大原)