多様性を認めないなんて、認めません
~正義と矛盾のはざまで~
最近、「DEI」という言葉を耳にします。
Diversity(多様性)- Equity(公平性)- Inclusion(包摂性)
誰もが尊重される社会を目指そう。違いを認め合おう。
そういう考え方です。
私はこの考え方が好きです。というか、「嫌いです」という人の方が珍しいでしょう。
「みんな仲良くしましょう」に反対する人を見たことがありません。
「野菜もちゃんと食べましょう」くらいの正しさがあります。
ただその一方で、最近、「ヘンじゃない?」と思うこともあります。
SNSを見ていると、多様性を認め合う世の中のはずなのに、「これは絶対ダメ!」と怒っている人が多いです。
すると、私の脳内に住み着いている小学生男子が、こう言います。
「多様性を認めない奴を認めないきみは、多様性を認めてるっていえる?」
差別や偏見を放置していいわけはないし、傷ついている人への配慮も必要。
ただ、多様性やら包摂性というのは、実際にはなかなか難しいなと思います。
なんていうか、人って矛盾を抱えた生き物じゃないですか。
「主体的に動け!」と指示する上司
「静かにしろ!」と怒鳴る人
「感情的になるな!」と顔を真っ赤にする人
・・・とか。
少し前に大谷翔平選手の第2子誕生のニュースがありましたよね。
私は単純に「めでたいなぁ」と思いました。
ところがSNSには、「年子なんてひどい」「奥さんの身体への負担を考えていない」という声が挙がったらしい。
これにはもう、逆に感心しました。
人って、こんなめでたいことにも怒ることができるんだ・・・
っていうか余計なお世話、黙っとけみたいな。
すると再び登場、小学生男子。
「いま、SNSで怒っている人に怒ってる?」
・・・。危ない危ない。
正義の押し付けに違和感を覚えながら、私は『正義を押し付けるな』という正義を押し付けるところでした。
正義って、油断するとブーメランみたいに戻ってきますね。
そうそう、心理学には「モラル・グランドスタンディング」という言葉があるそうです。
社会を良くしたいという気持ちが、いつの間にか「私は正しい人間だ」と示すためのものになる現象らしいです。
これって、教育の仕事にもあるあるですよね。
気を抜くと「相手のため」だったはずの言葉が「私は正しいことを言っている」に化けたりする。学校でも会社でも。
私たちは、正しいことを教えようとします。
でも、私が心から受け取ることができた教えをふりかえってみると、それは正解や正論ではありませんでした。
私のことを理解し、尊重してくれる人の言葉だからこそ「なるほど」と思え、内側から変われたような気がします。
AIがどんどん賢くなる時代。
AIは「何が正しいか」を秒で示しますが、「どう向き合うか」は教えてくれません。
だからこそ、これからはもっと対話が大切な時代だとも思うのです。
相手を変えるためではなく、相手を理解するための対話。
そして自分も変わっていける対話が。
・・・と、そんなことを書いていたら、脳内の小学生男子が再々登場。
「お前結構めんどくさいよな」
否定できません。
どうやら多様性を受け入れる第一歩は、まず自分自身のめんどくささを受け入れることらしいです。それも尊重されるべき多様性の一つということで。www
(文:大原)