人は「何かのせい」にする天才である
~気づけば人生の助手席に座ってしまう話~
最近、暑いですよね。
私、暑さにはめっぽう弱くて・・・
真夏になると、エアコンの効いた部屋から一歩外に出た瞬間、「今日はもう無理かも」と思います。
まだ何もしていません。
仕事もしていません。
歩いてもいません。
ただドアを開けただけ。
それだけで、すでに一日分の疲労感をまとっています。
人間というのは不思議なもので、何かうまくいかない理由を見つけることに関しては天才的です。
暑いから集中できない。
雨だからやる気が出ない。
こんなに時間がないのは忙しいからだ。
忙しいのはタスクが山ほどあるからだ。
それが山ほどあるのは生きているからだ。
ということは、生きているのが悪いのか・・・
ここまで来ると哲学ですが、とにかく原因探しはいくらでもできます。
最近、こんな話を聞きました。
「主体性の反対語は、“被害者”です」
なるほどと思いました。
主体性の反対は「受動的」あたりかなと思っていましたが、その先には確かに“被害者モード”が待っています。
「上司が悪い」
「会社が悪い」
「お客さんが無理を言う」
「家族が協力してくれない」
そして私の場合は、「暑い」です。
もちろん、実際に暑いんです。そこは譲れません。
ただ、問題は暑さではなく、「暑いから何もできない」で思考を止めてしまうこと。
心理学に「ローカス・オブ・コントロール(統制の所在)」という考え方があります。
簡単に言うと、「人生のハンドルを誰が握っていますか?」という話です。
世の中には、自分ではどうにもならないことがたくさんあります。
天気もそうですし、景気もそうですし、他人の機嫌もそう。
残念ながら、私はまだ気温を操作する能力を獲得していません。
でもその状況の中で、どうするかは選べます。
涼しい時間に動く。
休憩を取る。
暑さは何のチャンスかを考える・・・
大したことじゃなくてもいい。
主体性というのは、「全部自分の責任です」と背負い込むことではなく、「自分にできることは何だろう?」という問いと向き合うこと。
そう考えると、"人生のハンドルを握る"というのはなかなか地道な行為です。
劇的な決断を下すことではなく、「いやんなっちゃうなー、もう」の後で、「で、私はどうする?」と付け加えてみる。
その小さな習慣が、助手席から運転席へ戻る一歩になる。
そんな風に思います。
(文:大原)